大判例

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最高裁判所第三小法廷 平成3年(オ)252号 判決

上告人

藤井佑幸

右訴訟代理人弁護士

小川休衛

入倉卓志

被上告人

藤井利男

曽根和枝

藤井ミヤ

藤井栄子

藤井五男

藤井孝子

北爪清子

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告人代理人小川休衛、同入倉卓志の上告理由について

上告人の本件訴えは、第一審判決添付の物件目録記載の各不動産が被相続人藤井敬三から藤井栄一郎(被上告人藤井利男、同曽根和枝、同藤井ミヤ及び同藤井栄子の被相続人)、被上告人藤井五男及び同北爪清子に対し生計の資本として贈与された財産であることの確認を求めるものである。

民法九〇三条一項は、共同相続人中に、被相続人から、遺贈を受け、又は婚姻、養子縁組のため若しくは生計の資本としての贈与を受けた者があるときは、被相続人が相続開始の時において有した財産の価額に右遺贈又は贈与に係る財産(以下「特別受益財産」という。)の価額を加えたものを相続財産とみなし、法定相続分又は指定相続分の中から特別受益財産の価額を控除し、その残額をもって右共同相続人の相続分とする旨を規定している。すなわち、右規定は、被相続人が相続開始の時において有した財産の価額に特別受益財産の価額を加えたものを具体的な相続分を算定する上で相続財産とみなすこととしたものであって、これにより、特別受益財産の遺贈又は贈与を受けた共同相続人に特別受益財産を相続財産に持ち戻すべき義務が生ずるものでもなく、また、特別受益財産が相続財産に含まれることになるものでもない。そうすると、ある財産が特別受益財産に当たることの確認を求める訴えは、現在の権利又は法律関係の確認を求めるものということはできない。

過去の法律関係であっても、それを確定することが現在の法律上の紛争の直接かつ抜本的な解決のために最も適切かつ必要と認められる場合には、その存否の確認を求める訴えは確認の利益があるものとして許容される(最高裁昭和四四年(オ)第七一九号同四七年一一月九日第一小法廷判決・民集二六巻九号一五一三頁参照)が、ある財産が特別受益財産に当たるかどうかの確定は、具体的な相続分又は遺留分を算定する過程において必要とされる事項にすぎず、しかも、ある財産が特別受益財産に当たることが確定しても、その価額、被相続人が相続開始の時において有した財産の全範囲及びその価額等が定まらなければ、具体的な相続分又は遺留分が定まることはないから、右の点を確認することが、相続分又は遺留分をめぐる紛争を直接かつ抜本的に解決することにはならない。また、ある財産が特別受益財産に当たるかどうかは、遺産分割申立事件、遺留分減殺請求に関する訴訟など具体的な相続分又は遺留分の確定を必要とする審判事件又は訴訟事件における前提問題として審理判断されるのであり、右のような事件を離れて、その点のみを別個独立に判決によって確認する必要もない。

以上によれば、特定の財産が特別受益財産であることの確認を求める訴えは、確認の利益を欠くものとして不適法である。本件訴えを却下すべきものとした原審の判断は、結論において是認することができる。右判断は、所論引用の判例に抵触するものではない。論旨は、原判決の結論に影響しない部分の違法をいうものに帰し、採用することができない。

よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官大野正男 裁判官園部逸夫 裁判官可部恒雄 裁判官千種秀夫 裁判官尾崎行信)

上告代理人小川休衛、同入倉卓志の上告理由

一、原判決は、判決に影響を及ぼすこと明らかな法律解釈の違反がある。

原判決は、本件訴えが不適法である旨をるる述べているが、その何れについても法律の解釈を誤っていると信じる。

(一) まず、原判決は、民法九〇三条一項の「みなし相続財産」に該当するか否かの判断は具体的相続分確定のための一つの前提としての意義を有するにすぎず、従って、法は家庭裁判所が遺産分割の中で審理判断すべきものであり、弁論主義による民事訴訟においてこれを確定することは予定していないものというべきであると述べている。

ところで、家族法上の紛争解決手続としては普通裁判所の民事訴訟手続(人事訴訟手続を含む)と家庭裁判所の家事審判手続に大別される。しかして、実定法による両者の区別につき、山木戸克巳教授は、「家庭に関する事項であってしかも特に家事審判事項と定められている事項に限られる。すなわち審判事項は制限的であって、この点は一般に異論がない。そもそも、審判事項は若干の例外を除いては、民法上個別的に家庭裁判所による処分のなされる旨が規定せられ、家事審判法第九条はこれを審判事項として列挙しており、裁判所法においては、家庭裁判所は家事審判法で定める家庭に関する事件の審判及び調停の権限を有すると規定せられており(裁判所法三一条の三)、これらは審判事項が制限的である趣旨を示しているものと解せられる。のみならず、審判は国家が私人の法律生活に形成的に関与する作用であるから、このような国家作用がなされるのは、法律の特に認める場合に限られるべきである。」と述べている(山木戸克巳・家事審判法(法律学全集)二三頁)。してみれば民法九〇三条のみなし相続財産の確認は家事審判事項として家事審判法九条に列挙されておらず、従って、訴訟事項であることは明らかである(なお、上告人は一審以来主張しているように、生前贈与に関する確認は遺産の範囲の確認、相続人の確認及び遺言の効力についての争いと同様遺産分割審判の前提又は具体的相続分確定の一要素として家庭裁判所にも審判権のあることを否定しているものではない。ちなみに、例えば生前贈与について争いのない場合でも、遺産の範囲に争いがあれば、具体的相続分が決まらないことになるが、この場合でも遺産の範囲確認の訴えの出来ることは争いがない。)。

(二) 原判決は共同相続人の具体的相続分を確定するためには、各相続人の特別受益及び寄与分の双方の確定が必要であり、寄与分は遺産分割と同時に行われるのであるから、このような法の趣旨に照らせば、特別受益の有無及び価額についても、遺産分割の中で審理判断すべきであると述べ、寄与分規定の趣旨は、寄与分新設以前に開始した相続についても斟酌して判断して差し支えないという。

上告人は、特別受益の価額の確認を求めておらず、従って、原判決は当事者がもとめてもいない請求を誤解して本件訴を却下すべきであるとしており、この点でも違法であることを付言しておく。

ところで、本件相続の開始は昭和四六年九月八日であり、寄与分の新設は昭和五五年であるが、改正前においても、学説及び裁判例の中に、遺産分割にあたり、相続人の一人が相続財産の維持、増加に寄与したような事情がある場合、寄与分を考慮して遺産分割の審判をなすべきだとする説があったとしても、右にいう「寄与分」と新設された民法九〇四条の二の「寄与分」とは性格が全く異なるものである。即ち、民法九〇四条の二は改正前の実務審判例を立法によって追認したものではない。

両者の違いを説明すると、前者のいわゆる「寄与分」は民法九〇六条の「一切の事情」の範囲内において、いわば遺産分割の「微調整」をなしたものである(一粒社、家事審判事件の研究(2)九〇頁岩井俊判事)。

ちなみに夫名義で取得した財産につき、共稼ぎをした妻の寄与分を考慮し、妻の持分は二分の一と認め、右妻の二分の一の持分は夫の遺産ではないとの見解を示した審判例(家裁月報二四巻一二号五二頁昭和四六年四月二七日福岡家審判)については、「寄与分」という言葉を用いているが、実体的には妻の共有持分についての争いであり本来の訴訟事項を遺産分割審判手続で処理した事件である。

これに対し、新設の民法九〇四条の二は、①「寄与」は「特別の寄与」でなければならないこと、②「寄与分」を遺産分割における「微調整」にとどめず、独立の審判事項としたこと、③寄与分の決定を申立てにかからしめていこと(前掲書九〇頁)④「寄与分」は、これを相続人の相続分修正(増加)事由としていること(前掲書八四頁)である。

以上の如く、改正前のいわゆる「寄与分」と改正後の「寄与分」とは異なるものであり、従って、相続開始後に新設された民法九〇四条の二の趣旨を根拠として相続開始前の法律解釈をなすことは見当外れというべきである。

(三) 原判決は、特別受益の有無及び価額を判断するにあたっては(前記のとおり上告人は価額の点にまで確認を求めていない)単に贈与の事実に止まらず、婚姻、養子縁組及び生計の資本に関しての贈与であるか否かの判断を要するが、そのためには被相続人の生前の資産収入及び家庭状況並びに当時の社会状況等一切の事情を総合的に考慮しなければならないのであるから、みなし相続財産を確定するということは、本来的に非訟事件であり、したがって訴訟事項ではなく、審判事項であるといわなければならないと述べている。

しかし、これも誤った解釈である。

最高裁判所判例によれば、既存の権利義務の存否を確定する確認的裁判を訴訟事項とし、法律関係の変動が裁判によってはじめて起こる形成的裁判を非訟事項としている(最決昭和三五年七月六日民集一四―九―一六五七頁、最決昭和四〇年六月三〇日民集一九―四―一〇八九頁、最決昭和四一年三月二日民集二〇―三―三六〇頁)。

他方兼子一博士・新民事訴訟法体系(酒井書店・四〇頁)は、「両者の区別は、国家作用の性質にあるとするのが正当である。即ち、訴訟の裁判は、法規を抽象的に予定されたところを適用して紛争を解決するのに対し、非訟事件では国家が端的に私人間の生活関係に介入するため命令処分をするのであって、前者は民事司法であるのに対し、後者は民事行政である。同じく権利関係の確定形成をもたらす場合でも、訴訟の判決は法の適用による判断作用の効果であるに対し、非訟事件では結果を意欲する処分行為に基づくものである。行政処分は本来行政庁の権限に属するが、民事関係については沿革的政策的に司法機関である裁判所又はその監督の下に行わせるところに、非訟事件が生じるのである。」との見解を示し、斉藤秀夫博士・民事訴訟法概論(有斐閣二九頁)もこの説を強く支持している(伊東乾・注解非訟事件手続法五頁・青林書院)。

最高裁判所の右判例基準によっても、また、兼子、斉藤両説によっても、生前贈与の確認は訴訟事項であることは明白である。原判決は「被相続人の生前の資産、収入及び家庭状況並びに当時の社会状況等一切の事情を総合的に考慮しなければならない」から、本来的に非訟事件だとしている。しかし、原判決が述べている事情は、持戻されるべき贈与に該当するか否かを認定するための間接事実であって、法の適用による判断作用であることに変りはなく、結果を意欲する処分行為ではない。

このことは、同じ条文である民法九〇三条一項の遺贈はその目的にかかわりなくすべて持戻しの対象となることとの均り合いからみても言えることであるし、また、岩井俊判事・家事審判事件の研究(2)八〇頁・一粒社も「民法九〇三条の特別受益は、いわば寄与分の裏返しとしての側面を持っており、相続人間の衡平をはかるために法定相続分を修正する点において共通するが、特別受益は実体法上客観的に定まり、その確定に非訟手続が介在するものとされていないことは、寄与分の手続と対比し、興味深い。」と述べていることによっても明らかである。

これに加え、遺留分減殺請求権を例をとるならば、被相続人から相続人に対して婚姻、養子縁組のため又は生計の資本として贈与されたものは、相続開始前の一年間よりもっと以前のものも無条件に遺留分算定の基礎となる贈与に算入されるのである(民法一〇三〇条、一〇四四条、九〇三条)。原判決の如く解するならば、現実の遺産が皆無の場合でもまず家庭裁判所に遺産分割の審判を申し立て、そこで生前贈与の審判の確定を得た後でなければ、普通裁判所に遺留分減殺請求権の訴を提起することが出来ないという学説、判例、実務を全く無視した結果を招来せしめることになる。更につけ加えるならば、減殺請求権は遺留分権利者が、相続の開始及び減殺すべき贈与又は遺贈があったことを知った時から、一年間これを行わないときは時効によって消滅することが規定されている(民法一〇四二条)。この時効の起算点も家庭裁判所の生前贈与の審判の確定日というおかしな結果となる。

原判決の誤りは明白である。

(四) 原判決は、みなし相続財産の確定を審判事項とすることと遺産の範囲についての確認訴訟を認める判例(最高裁昭和六一年三月一三日判決・民集四〇―二―三八九頁)の立場となんら矛盾するものではないと述べている。これもまた右判決を誤解しているものである。

本件訴訟は、原判決が言う如く、「みなし相続財産」を私人間の独立した権利義務の客体として捉えているのではなく、当該財産が特別受益に当たり持戻義務のあることの確認を求めるものであるから、右訴えは、被上告人が当該財産の価額を計算上遺産に持ち戻すべき地位にあることの確認を求めるものであり、従って、それは法律関係の存否の確認を求める訴えというべきであるから、この点からみても本訴訴えは適法である。原判決引用の最高裁判所判決は、遺産確認の訴えの適法性につき、「遺産確認の訴えは……共有持分の割合は問題にせず、端的に、当該財産が現に被相続人の遺産に属すること換言すれば、当該財産が現に共同相続人による遺産分割前の共有関係にあることの確認を求める訴えであって、その原告勝訴の確定判決は、当該財産が遺産分割の対象であることを既判力をもって確定し、したがって、これに続く遺産分割審判の手続きにおいて、及びその審判の確定後に当該財産の遺産帰属性を争うことを許さず、もって、原告の前記意思によりかなった紛争の解決を図ることができるところであるから、かかる訴えは適法というべきである。」との見解を示している。右見解は、上告人の前記主張に適合するものである。けだし右判示の部分は、梶村太市検事の説を借りるならば、「特別受益財産確認の訴えは、共有持分の割合は問題にせず、端的に、当該財産が被相続人から生計の資本として贈与を受けたものであること、換言すれば、被告が当該財産の価額を計算上遺産に持ち戻すべき地位にあるとの確認を求める訴えであって、その上告人勝訴の確定判決は、当該財産が持戻計算の対象であることを既判力をもって確定し、したがって、これに続く遺産分割審判の手続において、及びその審判の確定後に当該財産の遺産帰属性を争うことを許さず、もって、原告の前記意思によりかなった紛争の解決を図ることができるところであるから、かかる訴えは適法というべきである。」と言い換えることができるからである(梶村太市・家事審判事件の研究(二)七一頁・一粒社)。

二、原判決は、本件訴訟は非訟事件であるから、公開の法廷で行われないとしても憲法八二条一項に違反するものではないとしているが、この見解も憲法に違反し不当不法である。

実定法上非訟事項か訴訟事項かまぎらわしい場合には(本件訴訟は訴訟事項であること明白であるが。)非訟事件だから公開の法廷で審判しなくてもよいという問題ではなく、通常裁判所に不服申立の方法が開けているかどうか、当該事件を裁判するに際し、独立の裁判官により裁判で処理させることが適当かどうか、紛争当事者が対立の形で訴訟の当事者をして関与させることが妥当かどうか。武器対等の原則をとらしめることが妥当かどうか、口頭弁論に基づく裁判を行うことが妥当かどうか公開の法廷で行うことが妥当かどうか等を総合的に考えて、訴訟事項か非訟事項かを決める必要があるのである。

このように考えれば、本件生前贈与確認の訴えは、明らかに訴訟事項としなければならない訴訟である。原判決の判断は上告人の公開の法廷で裁判を受ける権利を侵害するものであって、憲法八二条一項に違反するというべきである。

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